One Love
「今日からここに暮らすことになるから、いいな。なんかあったらすぐに呼べ」
連れて来られたのは、見たことも無いような、大きな屋敷だった。
やっとのことで口から出たのは『ここどこ?』だった。
その質問には『お前の家』それだけが返ってきた。
何もかもがありえないものだった。
何人もの人が屋敷内で働いていた。
すぐに通されたリビングはドアから窓まで恐ろしく遠い。
長い廊下には幾つもの扉が並んでいた。
僕の部屋だと通された部屋も驚くほど広く、
こんなにも広い空間で一人になったことなんて無かった。
教室よりも広い部屋に、大きなベット。
何もかもが桁外れに大きく、孤独を余計に味わう。ただ、怖かった。
人がいる場所に行きたい。
切羽詰った思いは、焦りを呼び、
ここから出ようと何度も掴みかけたノブがするりと手から抜け落ちていく。
やっとの思いで開けた扉の先にはなぜか黒い影が立ちふさがっていた。
それが、『道明寺 司』だと気づくのにかなりの時間がかかった。
驚いた表情を見せ、僕に「どこかいくのか?」と問う。
ただ、必死に頭を振った。
「部屋、入ってもいいか?」何度も首を上下に動かした。
誰でもいいから、傍にいて欲しかった。
だけど、一番いて欲しかったのはこの人だと無意識に感じていた。
寂しさを紛らわすためとはいえ、招き入れた相手と何を話していいか分からなかった。
でも、どうやらそれは訪問者も一緒だったようだ。
お互い目線が合いそうになったら逸らす。
沈黙が続いた。
口火を切ったのは僕だった。確かめたかったんだ。
本当は、誕生日に母さんに聞くつもりでいたことを。
「誕生日っていつ?」
「何だ?急に」
「いつ?」
「1月31日。お前も教えろよな」
間違いないと、思った。いろんな意味で安心した。
「・・・パフェ」
「なんだ?」
「いつも、パフェ・・・食べてたんだ。母さんと僕の誕生日には・・・。あと・・・・」
「あと?」
「1月31日も・・・」
母は、この日に食べるパフェを一番おいしそうに、
一番悲しそうにいつも口に運んでいた。
1月31日。
この日が意味することを、母は決して教えてはくれなかった。
何歳ぐらいだっただろうか?
この日は、もしかして父の誕生日じゃないかと気づいたのは。
それ以来、一度も聞いたことは無かった。
そっか。と、頭に置かれた手は、
今まで同じようにしてくれたどの手より大きくて暖かだった。
母さんが亡くなって初めて、涙が零れた。
号泣した。
その間、ずっと『道明寺 司』は傍にいてくれた。
その日は、泣き疲れてそのまま眠った。
「俺のことはどんな風に呼んでもいいから。一緒に住むわけだし・・。
ど、道明寺さんでも、司でもおじさんでも・・・」
「じゃあ、父さんって呼んでもいいの?」
母さんはから、何も聞かされてはいなかったけれど、
僕の知る限りの情報で裏付けるものなんて無かったけれど、
誕生日が1月31日、この人が父さんだって確信していた。
この人を、父さんと呼ぶのは当たり前だと思っていた。
「・・・おう・・・」
もっと、なんていうか、“俺様”タイプな人だと思っていた。
今こうして顔を合わせている人は、
こう優しいというかなんというか・・・・・よく泣く人だと思った。
僕の知らない母さんの話しを父さんはいっぱい話してくれた。
まあ、中には信じられないような話もあったりもした。
僕は僕で、父さんの知らない母さんの話しをする。
父さんは、話の一つ一つで笑ったり、
青筋を立てて怒ったり、この世の終わりかと思うほどに心配したり、
まるで百面相を見ているみたいで面白かった。
父さんの幼馴染の3人や母さんの親友達とも会わせてくれた。
皆それぞれ、母さんが亡くなってしまったことを悲しんで、
見つかったことを喜んで、僕のことを歓迎してくれた。
特に花沢 類さんは、僕を見るたびに『牧野に良く似ている』と、
何度も会いに来てくれて、父さん以上に母さんの話をしてくれた。
当たり前のように、
生まれたときから知っているかのように僕を迎え入れてくれる。
だけど、僕がいなければ、
産まれさえしなければ、
母さんは今もこの人たちと別れずに笑って暮らしていたんじゃないかと思うと、
申し訳なかった。