One Love









当時、人よりも多少は勉強が出来ていても、
世間というものを知らなかった。
親父が、道明寺財閥が、例え俺を実の息子であることが証明できても
『牧野 束』を迎え入れることの大変さなど、知る由も無かった。
ただ、がらりと変わった自分の生活環境に慣れる事で精一杯だった。
母さんと二人ひっそりと暮らしていたあの部屋が
そのまま入るようなバスルームがあったり、
自宅で迷子になったり、学校まで車で送り迎えが当たり前になったり、
習い事が増えたり・・・兎に角、自分のことでいっぱいだった。



『道明寺 束』その名前に慣れたのも、
その大変さを本当に理解し始めたのもごく最近のように思う。
俺はきっと一生親父には勝てないと思う。








毎年親父は、俺と母と父の誕生日と、
母の命日には必ず世界の何処にいようと日本に帰ってくる。
そうして二人で母に会いに行く。






「親父、タバコやめろよ」
「うっせ。子供にゃわからんだろうな。このよさってのは」
「一生分からなくていいね、そんなもん。第一、そんな不摂生して母さんのとこに早く逝っても、叩かれるだけだぞ?」
「はっ。叩かれるだけですむかよ!殴るんだよ、この女は!!」
「分かっているなら止めろよ・・・」




毎回何かしら理由を作っては、母の墓前で口論をする。
いつだったか俺らの言い合いを見て、
F3と呼ばれる親父の悪友達に
『血は争えねぇな』『昔の牧野と司、まんまじゃねーか』
と懐かしげに言われたことがあった。
親父はそれが嬉しかったのだろう。それに俺は毎回付き合うのだ。






どっちが子供なんだか・・・
そう厭きれながら呟く母さんの声が聞こえたような気がした。






「さって、行きますか」


わざと大きな声を出して、次に行くことを告げる。
いつも親父はここで泣く。
去っていった母のことを、知らされなかった息子の誕生を、
再会叶わず亡くなった母のことを思うのだろう。
親父が泣く姿というのは普通こんなにも見るものなのだろうか?






「束!」




泣き顔を整えた親父に呼び止められ、
振り返った瞬間何かが放物線を描いて投げられた。
何とか落とさず取り、中身を確かめようとすると、






「つくしから20歳のお前にだと」






そう、一言残して足早に去っていった。

茶色の封筒の中からは
『牧野 束』名義の通帳が一通と印鑑が入っていて、
それは母さんがずっと貯めていてくれたものだというのは間違いなかった。




毎月、決まった額が入金されている。
当時の生活を考えれば、その額は決して少なくは無い。
むしろ、よくこんなに貯めることが出来たものだと感心せざる負えない。




涙が溢れてきた。
母さんの愛情をこんなにも受けて俺は育ったのだと。
1ページ1ページを大切にめくる。
毎月毎年、母の苦労と愛情が積み重ねられている。
ただ、めくれば捲るほど、あの日が近づく。
母が亡くなったあの月が・・・。






「ッ・・なんだよ、これ!!」




重かった最後になるであろう1ページは笑いに変わった。
明らかに親父の仕業だ。
そこには、変わらず入金が続けられていた。
俺もここにいると、
主張するかの様な大金を毎月入れて。
それはあまりにも親父らしかった。






母に泣かされ、親父に笑わしてもらい、
いまだに俺は親離れすら出来ない。






母さんが死んで10年が経とうとしている。
それは、同じだけ親父とも過ごしてきたことになる。
いつの間にか、母さんと過ごした時間に親父と暮らした時間が追いつき、
追い越そうとしている。










二人が出会った歳が16歳と17歳だと聞いていたが、
その歳はとうに過ぎてしまった。
俺はまだ、二人のように想い会える人とは出会っていない。
いつか会えるのだろうか?
そのときは、必ずここに連れて来たいと思う。








じゃあな、母さん。また来るよ。・・・・ありがとう。




さわさわと心地よく髪を撫で通り過ぎていった風は、
母が返事をしたかのような感じがした。






俺らには、もうひとつ外せない訪問先がある。






いい年をした大人の男が二人、
向かい合ってクリーム一杯のパフェをつつく。
子供の頃、何よりのご馳走だと感じていたこの甘味物も
さすがに歳を取るにつれキツさが増していった。
そう、俺ですらキツイと感じるのだ。
倍近く生きて、しかも甘いものが苦手な親父はさぞ辛いであろう。


背を丸めパフェと格闘し続ける親父の姿に、
世界を舞台に活躍する財閥の総裁の面影は
全くと言っていいほど感じられなかった。




さすがに家族の誕生日にパフェを食べる習慣は無くなったが、
それでも母の命日には、二人で墓参りに行き、
帰りに必ず両親の思い出の店へと足を運ぶ。
そして、甘く頬の引きつるようなパフェを食べる。
どんな場所にいようと、どんなに忙しかろうと、
俺らはこうして毎年向き合う。


それが、今の家族の形だった。 母と、そして目の前に居る父と子、
血の繋がりこそあれど俺らは、
3人そろったことは無く、
今こうしているのも母の所為であり、
母のお陰でもある。
恨んだことは無い。むしろ感謝しているくらいだ。








母にはもう、言葉で伝えることは出来ないけれど、
その分、父に伝えたいと思う。




まだ面と向かって言葉にするのは恥ずかしさが勝ってしまうけど、
いつかは言おうと思う。




産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、と。











アトガキ

予定より長く、暗い話になってしまいました。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
最初は 司に離れて暮らした息子とパフェを食べて貰いたい
それだけで書き始めた作品です。
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